苦しい事辛い事悲しい事
過ぎてしまえば忘れてしまう
これは
人間のとても素晴らしい機能だと思ってます
生きてきた中で感じた
苦しみ・辛さ・悲しみを全部抱えていたら
きっと私達は
長く生きることはできないでしょう
もう一方の意味として
苦しい時に助けてもらった恩義を忘れてしまう
という
そんな戒めの意味もこの言葉にはあります
これ
書けば叶う
書く瞑想はとても有効だと
苦しかった時に
助けかったのに
すっかり忘れてしまうんですよね
毎日のルーティーン
習慣にすれば
きっと
人生もっと進化するかもしれないと
わかっちゃいるけど
やらない
良くあることです
当然
私も
書くことで
叶った経験を持ちながら
習慣にすることが
なかなかできませんでした
この習慣化にはコツがあるんです
それは
努力と離欲
ヨガの教えのひとつでもあります (ヨーガスートラという聖典にあります)
私達は何かを成し遂げたいと思い
努力をします
何かをコツコツと積み上げる継続をしていきます
しかし
その結果に執着をすると
うまくいきません
例えば
ヨガの先生になりたいと
先生になる結果に執着をします
そうなると
どうやったら
先生になれるんだろかと
なれる方法や
先生と呼ばれる為にはどうしたらいいのかと
教えることに執着をして
基本中の基本
自分のヨガの練習がおろそかになります
そこから
先生になるには
生徒さんがいないとダメだ
集客しなければと
どれだけ
自分はすごいのか
や
どれだけ
すごいポーズができるのか
SNSにアップしなければと
どんどん
外へ外へ意識は向いて
生徒さんの数や
レッスン数に執着が生まれ
何を伝えたいのか
どんなクラスにしたいのかなど
そもそも
なんで
ヨガの先生になりたかったのかという
自分の思いや
実際に来てくれた方への
想いも薄れ
自分勝手で
自分だけが気持ちのいい
自己陶酔レッスンとなってしまいます
結局
一緒にヨガをする仲間はいなくなり
自称ヨガの先生
となります
結果に執着するのではなく
努力すること
継続することに執着をするんですよ
自分がなぜ
伝えたいのか
その想いの継続
それに
ノートを書いて
夢が叶うと
いひひひ
ラッキー
だったら今度は
目標はこれにしようと
自分のコントロールできないことへの
支配がはじまります
だから
よく
書いたことは 忘れるくらいがいいと言われているんです
そして
毎日書くことだけに執着すると
本来
書いて
内観
自分との対話が本来なのに とりあえず書けばいいと
一番大切なことを置き去りにしてしまう
だから
習慣化するコツは
結果に執着しないこと
なんですよね
できてもできなくても
叶っても叶わなくてもどっちでもいい
自分と向き合う内観
だから
ノートに書けない日があっても
いいじゃん
お風呂で自分と対話できたから
今日はOKでもいいし
今日はしっかりヨガで瞑想したからOK
でも大丈夫です
こうせねば
こうしなくちゃの
義務から
習慣への道は険しすぎます
なので
肩の力を抜いて
今日も内観楽しみます
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