誰にでも
小学生にもわかるように
解説しよう
と
何かを伝える立場の方なら
そう努めようとしているのは当たり前
こんなことも知っているぜオレと
難しい言葉ばかり
専門用語連発だと萎えるし
なんだろ
この人の知識のひけらかしで
全然教える気ないよねー
他人様のマスターベーションを見せられているような気持ちの悪さ
(あっ例えです
見せられた経験ございません
マニアはタマラナイかもしれませんが・・・笑)
相手の立場にたって
伝えていく努力は必要です
では
受け手
聞く側はどうでしょうか
よくあるサルでもわかるという本のタイトル
サルでもわかる内容にばかり頼ってしまうと
ホントにサルになっちゃうのではという想い
いや これサルに失礼よね
簡単でわかりやすい話ばかり求めていると
簡単でわかりやすい話しか
理解できない人間になっちゃうよ
と思っております
人間も
世の中も
そんなにわかりやすく一筋縄ではいかないから
生きづらさを感じるし
疲弊する
反面 複雑で難解だからこそ 楽しかったりもする
もちろん
最初の一歩は簡単でわかりやすい話から入ってOK
その後も
その手軽さ わかりやすさだけの話しか求めない
と
そいーいう類の話しか聞けなくなる
そうなると
自分はどうなんだろ?と
考えることも手放すようになり
騙されていたり
コントロールされていることすらわからない
結局
他人の解説に全て委ね
理解することを他人に任せにしている
それって
自分の人生を歩む上で理解・思考を放棄しているから
あなた自身の人生なのに
他人にハンドルを握らせているということ
他人様のシナリオ通りに生きるなんて
つまらなくないですか
よく
だって私馬鹿だから理解できない
とおっしゃるんですが
まず
その前に自分で理解しようとしてますか?
どうせわからないと理解を
はなっから放棄しているだけじゃないですか?
と
エラそうに書いている私ではありますが
わたくし 大昔の若い時
お付き合いしていた彼のお母様から
『どうしてあんな馬鹿校に通ったの?』と
言われた思い出があるくらいなので
成績優秀でもなんでもありません
(同じ出身校の皆様大変失礼しました(__)
私達は馬鹿じゃないわよね
確かに偏差値とやらは低いけど
当時勉強に興味がなかっただけ)
なので
頭がいいとか悪いとか以前に
自分の軸で生きることを
放棄していないかどうか
どうでしょうか
なんでもかんでも
わかりやすいこと
簡単なこと
手軽なものばかりじゃなくて
ちょっとだけ
うん!? 何? あんだって?
という話にも耳を傾けてみませんか
なんじゃそりゃをシャットダウンせず
自分の知らないこと
理解できないような
ちょっとだけレベルが上かもしれないということに挑戦してみる
でトライしてみて
わからないからと言って
誰も馬鹿にするわけでもないし
それで人間失格するわけでもない
わからないなら自分で調べればいい
それでも理解できないなら
人に聞けばいい
そう
例えばインド哲学
何言ってるかわからないんですけど
のオンパレードではありますが
小難しいこと言ってる
難解だから嫌いと
スルーせずに
ちょっとだけ耳を傾けて
わかりにくく 簡単じゃないことにこそ 本質がある
その本質を自分で見つけた時
その本質こそが一番簡単でわかりやすいというこを知る
と
いうことで
またインド哲学について
ブログにアップしていこうと思います
インド映画とインド哲学の記事は
恐ろしいほど読まれないので
ショボンとなっておりました
でも
PVの為にブログ書いてる訳じゃござあせん
ヨガを実践し
インド哲学に触れたことで
他人軸で生きることが
当たり前で
人生がの楽しいと思ったことが一度もなかった私が
生きやすくなれたのは
嘘ではないので
また
インド哲学書いていきます
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□結論
写真はインド哲学じゃなくて
ソクラテスの死でございます