不幸な出来事があった時だけ
連絡をくれる友人がいるとです
最初は
僕だけにしか
打ち明けられないのかと
思っていたとです
でも
毎回
毎回
不幸な出来事の時だけの連絡
それって
正真正銘の
不幸の手紙じゃなかですか
ソーマです
ソーマです
ソーマです・・・
と
最近はまっている
ヒロシさんのよーな
呟きからのブログにて失礼します
おはようごいますヨガ講師soma(ソーマ)こと野中由美です
『もう聞いてよ~』
そんな冒頭から
愚痴
悪口
不運
不平
不幸
不服
不満
不安しか口にしなかった昔の私
そう
不幸の手紙の配信しかしていなかったのは
何を隠そう
少し前の私です
口を開けば
キレイなほどに“不”のオンパレード
だからと言って
不=悪だとは思っていませんし
弱音を吐いてはいけないとは言ってません
不安があるから
将来の備えもできる
命を守る為に大切な感情で
これがあるからダメなんだと
無理やりポジティブで覆い隠すと余計辛い
そう
あって当然
黒があるから白もある
ということは
そうマイナスがあるなら
プラスもあったはず
なのに
当時の私は
マイナスばかりに目を向けていた
だから生きづらかった
そんな黒ばかりに覆い尽くされ
抱えきれなくなったマイナスを
周りの皆さんにキレイにラッピングして丁寧に配っていた
マイナスのおすそ分け
そんなプレゼント
お断りですよね
便りのないのがいい便り
何もないから連絡がないんだーなんて言いますが
だからと言って
嫌な思いだけを吐き出す為の友人て
どうなんだろう
心の清澄は
他人の幸福への親しみ
不幸へのあわれみ
徳への喜び
不徳はの無関心を抱くことで生じる
これは
ヨガを理論的に説いた
ヨガの聖典
ヨーガスートラの1章33の言葉です
ヨガは
ポーズをとることだけが目的ではなく
こうやって
心の在り方も説いています
心の平安を得たいなら
日頃から
幸せな人には一緒に親愛な気持ちになり
不幸な人にはそっと寄り添い
成功した人には一緒に喜び
不道徳な人からは
そっと離れましょう
この言葉と出会ってから少しずつ変化がありました
なるほど!と少しずつ実践
悲しんでいるなら一緒に悲しむ
これは案外とすんなりできるもの
不道徳な人
はあ!?何やってんの?何言ってくれてるのという人に対して
嫌うことなく
ただただその場を立ち去るという
この行為は目からうろこでした
どうしても
批判して悪口を言いたくなるのですが
これ
そうやって嫌だ!
と思うということは
少なからずも自分にそーいう部分がある訳で
だからこそ嫌悪センサーが
烈火のごとく反応してしまう
無関心でいるというのは
見て見ぬふりをすることではありません
そうやって
感情を手掛かりに
自分を冷静にみる目を養うこと
そして
以外に難しかったのは
いいことがあったと言う人に
心から良かったねと言えるかどうか・・・
ふん
どうせまぐれでしょ
何か裏があったに違いない
ただの自慢でしょと
まっさらの気持ちで最初は喜べなかった
そんなひねくれている自分を認め
黒い部分も愛し
いい人ぶらずに
良かったことにフォーカスしていくと
いつの間にか
自分にもいい出来事が
自分にもいい部分が
沢山あったことに気づきます
そうなると
自分が一番自分を認めているので
周りから認めてもらおうとやっきにならず
自分の軸で考え
歩けるので
とても楽です
もう
不幸の手紙ばかりを配信する作業はしなくなりました
『もう聞いてよ~』
から始まる連絡はなくなり
逆に
今こんな感じだから助けて欲しいと
素直に話せるようになったし
うれしいこと
楽しいことも報告するようになったんです
気付けば
周りもそんな
良い悪いなしに連絡しあえるそんな友人ばかりです
もし
今 辛い
人間関係で苦しんでる
そんな時は
自分からの発信
ラインでも
メールでも
一度みてみましょう
大切な友人に不幸の手紙だけをだしていませんか?
□結論
以前のワタシのようなそこのあなた
大丈夫です
ヨーガスートラの言葉思い出して下さい
四つの行為を一度に行おうとするのは大変です
なので
徳への喜びをやってみませんか
成功した人
何かいい行いをした人がいたら
一緒に喜ぶ
アホのように喜んでみて下さい
少しずつ何かが変わっていくかもしれません
※参考文献
現代人のためのヨーガスートラ グレゴールメーレ