久しぶりにインドヨガ仲間と
もうかれこれどれくらいのお付き合いでしょうか
もしかして10年!?
時の流れは速いです
お互いそんなに逢わなくても
深い話ができるのは
心の作用を死滅させることを
一緒に学んだあの日々と
やっぱり心の友だからでしょうか
ありがとう!
お互い何も変わっていないようで
変化は多く
年齢を重ねたのも理由の一つかもしれませんが
今回
つくづく
二人とも
欲がなくなったなあと・・・(笑)
いい意味で
WANT か NEED か
一緒にヨガを学んだ師匠から言われた言葉
それが欲しいのか
それが必要なのか意識的に生活をする
それもヨガのひとつなのだと
最初は正直
わからなかったんですよね
この意味が
そもそも
当時の私はWANTがよくわからない
やりたいこと
本当に自分が何が欲しいのかわからない
じゃあ必要性だけを重視をすればいいのか
欲しい
やりたい
好き
そんな感情は捨てるべき
無私になり一切となるべき
WANT 欲しいはダメだらと
欲望排除で行こうと想ったら
全く人生に彩がなくなり
途端につまらない
色味のない
何かに支配されているような日々
そう
心から
内側から
いったい自分が何を欲っしているのか
わからないほどに
人の言葉や
他人の評価で行動を選択してきた他人軸
だから
行動の結果を全て人のせいにしてきた
だって
あの人が言ったから
だって
テレビでそう言ったから
だって
こうしたほうが
母親が喜んでくれそうだったから
自分の想いをないがしろにしてきたので
じゃあ
本当のところはどうなの?
が
全くわからない
その割には
私は人の為に何かやりたいの
私はみんなの為にがんばるの
私は多くの方の役に立つ人間になるの
と
内側よりも
外側からの反応による欲は
沢山沢山抱え込んでいた
そんな欲マミレが
さらに自分の内側を見えないようにして
自分軸なんて最初からなかったことにしていた
だからこその
WANTとNEED
まず
その欲が悪い
とか
無欲になれ
無私になれ
ではなくて
そうやって
自分の行動を冷静に客観的に見ること
その癖づけから
本来の
内側から発せられる声が聞けるようになり
あれ
私にも自分の軸があったんだ
ここを安心拠点にしていいんだ
他人様は二の次でOK
まず自分でしょ
という
今を見る
今を意識的に行動する
その目安が
WANTかNEEDか
欲しい時もあれば必要にかられての行動・言動もある
あくまでも
だから良い
だから悪いはない
そこに
答えを求めている時は
自分の正義を正当化したいから
自分に正義があるのなら
他人様にも同じように正義がある訳で
そこにづかづかと土足であがり
違うとか
なんでそうなったとか
そこが間違っているから修正してしんぜようと
その方の人生の深いところを
こちらの正義に変えようとすることこそ
エゴなのだと感じる昨今
色んな正義があっていい
とかく
ヨガは多くの聖典があり
その智慧を元にしているからこそ
それが答えだと
正義を振りかざしたくなる
でも
その行為はエゴ以外の何者でもない
ヨガを伝える人間のエゴこそ手放すべきものなのかもしれない
まずは自分
自分に意識をおいて
安心安全を感じるだけでいい
そこから
溢れだす
安堵感が
自然と周囲に漏れ出して
人々と自然と調和をしていく
世の中の役に立つとは
そういう意味なのだろう
そして
時には無関心であることも
大きな優しさであり
他者を受けいれている証でもある深くて大きな愛
おいしい韓国料理を一緒に食べながら
ふと思った
大きな気づき
それにしても
二人とも
いい感じの脱力感
ヤル気がないだけじゃん
なんて言わせないよ(笑)
まずは
自分
自分が楽しくなければね
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□結論 無関心でもいいのさ
色んなところにたくさん関心を向け過ぎると肝心なところに関心がいかなくなる時もあるし